常設展「尾張の歴史」

※2026年現在、名古屋市博物館は、改修作業のため、長期休館中です。

名古屋市博物館へ行ってきました。

ブログ記事のネタ探しのため、名古屋市博物館で常設されている展示コーナー「尾張の歴史」を、今一度しっかり見学してみよう、と思い立った次第です。

訪れた日は、特別展は開催されておらず、館の内外はとても静かで落ち着いた雰囲気でした。

そのため、常設展「尾張の歴史」を、じっくり鑑賞することができました。

博物館

縄文時代から第二次大戦まで一望できる

というわけで、本日の目的である2Fの「尾張の歴史」という常設展へ向かいました。

常設展には、縄文時代から第二次大戦の頃までの歴史が一覧できるように、時代順に展示物が並んでいます。

名古屋市博物館へ行く人の多くは、特別展や企画展が主目的だと思われますが、「尾張の歴史」常設展も、予備知識を仕入れていくと、かなり楽しめるものになります。

入場料は300円。

縄文時代

愛知県内には、BC5000年以前から縄文人が住んでいました。
瑞穂区あたりにも、縄文時代の昔から人が住んでいたようです。

そのため、博物館には、県内の各地から出土した石器や土偶、縄文土器、生活用品などが展示されています。

最古の名古屋人? 大曲輪遺跡の人骨

現在、グランパスの本拠地のある瑞穂陸上競技場にあった大曲輪遺跡から発掘された出土した人骨も展示されています。

3000年前と推定される人骨は、三十代なかばの男性で、身長は約162cm、イヌと一緒に埋葬されたとのこと。

この人物は、どんな容貌だったのかが気になるところです。

最古の名古屋人として、CGかなにかで生前の状態を復元できると面白いのではないかと思います。

弥生時代

弥生時代の東海地方からは、独特の製品が生まれています。

祭器として利用されたと思われる赤いパレス式土器や、S字甕(S字状口縁台付甕)、用途不明の丸型窓付き土器、名古屋城のお堀から出土したとされる銅鐸など。 それらの実物を見ることができます。

参考URL:S字甕研究室

土器

銅鐸

名古屋城のお堀から出土したとされる銅鐸が展示されています。

銅鐸は、おおまかに分類すると、大和・河内・摂津で生産された装飾の多い「近畿式」と、濃尾平野を中心に生産された、洗練された形の「三遠式」があります(瑞穂区軍水町で出土した三遠式銅鐸「中根銅鐸(重要文化財)」が有名)。

博物館に展示されているのは、近畿式の大型銅鐸(106cm)です。

存在感があり、不思議な印象です。
一見の価値がります。

弥生時代の東海地方はスゴかったらしい

弥生時代の伊勢湾岸には、吉野ヶ里遺跡にも匹敵する朝日遺跡(愛知県清須市・名古屋市西区)や、萩原遺跡群(一宮市)などに代表される大勢力があったようです。

愛知県といえば、現在でも製造業が盛んですが、そのルーツは、弥生時代に遡る、といえそうです。

ということは、もし邪馬台国が畿内にあったとすれば、この伊勢湾岸の勢力は、弥生時代末期に、邪馬台国を攻めた狗奴国ではないか、という説も最近注目されています。

そう考えると、尾張地方の歴史は、弥生時代とも直接的につながっており、とても奥が深いといえます。

狗奴国とは

邪馬台国が畿内にあるとすれば相当な勢力ということになります。

それに匹敵する狗奴国は、やはり伊勢湾岸や濃尾平野の勢力が有望じゃなかろうか、と思います。

NHKが2011年10月に放映した「歴史秘話ヒストリア」では、一宮市の萩原遺跡群を狗奴国の首都であるとする説を紹介していました。

参考URL:考古学から見た邪馬台国や狗奴国

古墳時代

古墳時代のコーナーには、出土品の鏡や埴輪、土器などが展示されており、古墳時代の人々の生活が伺えます。

尾張氏が権勢を振るっていた地域にも、古墳がたくさんあります。

古墳のサイズでは、近畿の巨大ま前方後円墳には及ぶべくもありませんが、東海地方は、前方後方墳という独特の形式を生み出した地域とされます。

質実剛健の気質を持った勢力だったのかもしれません。

その他の時代

もちろん、古墳時代以降の展示もたいへん充実しています。

記事が長くなったので、ここには書きませんが、古瓦や仏像、木簡、古文書、貨幣、刀剣(鎌倉時代の美品)、裁断橋の擬宝珠の実物、絵・古地図、工芸品、戦時中の品々などが年代順に展示されており、しっかり楽しめました。

裁断橋の擬宝珠

印象的だったのが、裁断橋の擬宝珠です。

常設展「尾張の歴史」には、裁断橋の擬宝珠の実物も展示されています。

豊臣秀吉による小田原征伐で亡くなった18歳の堀尾金助の33回忌(1622年)に、その母親が裁断橋の擬宝珠に刻んだ銘文は、日本女性三名文としてあげられています。

円空仏

美濃国の生まれの円空(1632-1695年)は、諸国を行脚しながら各地で仏像を制作した僧として知られます。
その仏像は、円空仏と呼ばれ、素朴で力強い作風が高く評価されています。

荒子観音には、約1200体もの円空仏があります。

日本の歴史と常に深く関わる

名古屋は、地理的に本土の中央部に位置することもあってか、弥生時代以前から、日本の歴史と常に深く関わってきました。

狗奴国に注目?

尾張地方が全国に存在感を発揮していた時代というと、一般的には織田信長の活躍した戦国時代あたりという認識になります。

しかし近年では、「狗奴国=尾張説」にあるように、弥生時代も、三遠式銅鐸、前方後方墳、パレス式土器などの独特の製品をつくっており、相当な存在感を発揮していたらしいことが分かってきています。

日本史を左右する立場

弥生時代以降も、古墳時代は尾張氏が朝廷と外戚関係を持ったり、平安時代には鎌倉幕府をたてた源頼朝、戦国時代には信長、秀吉といった武将たちを輩出したりしています。

明治維新では尾張藩が御三家筆頭でありながら新政府側に付いたりと、常に日本史を左右する立場にあります。

尾張という視点から、日本の歴史を俯瞰できる

「尾張の歴史」常設展は、1Fの特別展や企画展のついでに見るところ、といった印象があるようですが、日本の歴史を俯瞰するための恰好の視点を提供してくれるのではないかと思います。

というわけで、この地方の歴史に興味がある方には、おすすめの常設展です。